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[画像]  ペルー 世界複合遺産  マチュピチュへの道(3) ”マチュピチュ村”
  
  
  
  
  
  
  
 【マチュピチュへの道】
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マチュピチュへの道(3) ”マチュピチュ村” にて
 
 マチュピチュ村
 世界複合遺産
 マチュ・ピチュの歴史保護区とその周辺
 (1983年登録)
 ペルー共和国
 マチュピチュ村
  (撮影 2015.06.05〜06)
 世界遺産マチュピチュへの玄関口であるマチュピチュ村はかってはアグアス・カリエンテス(熱い水)と呼ばれ、温泉の湧き出ることで知られています。

 マチュピチュが1983年に世界遺産に指定され、その後クスコからのペルー南東鉄道が開通した事から、マチュピチュ村は急速に発展して今日に至っています。
 人口約3,000人の小さな村でマチュピチュ遺跡を訪れるには必ず通る村です。切り立った山々が天高くそびえ立ち、日本から遠く離れたアンデスのど真ん中いることを実感する場所(村)です。
                  (るるぶペルーより)
(Size : 3,215KB) 
マチュピチュ遺跡行きのバス発着所を望む マチュピチュ村、アルマス広場のパチャクティ像を望む
 


 ”マチュピチュ村” の夜明け
■ マチュピチュ村の夜明け、山々に徐々に陽が差してきます ■
マチュピチュ村の夜明けです。谷間の村にはなかなか陽はささない マチュピチュ遺跡は左側の山の裏側にあります。マチュピチュ村からは見えません


マチュピチュ遺跡方面を望む。遺跡は左側の山の裏側に有ります。真ん中の渓流はアグアス・カリエンテス(熱い水)という名の川です
 


 ”マチュピチュ村” 散策 (マチュピチュ遺跡行き バス停)
 

マチュピチュ村と日本人

 テレビの放送でマチュピチュ村の礎を造った、野内与吉さんについての放送がありました。その番組でマチュピチュ村と日本人との関係を初めて知りました。

 野内与吉さんについて、詳細な説明がWeb上の「東京大学総合研究博物館」で公開されていましたので、その一部を紹介したいと思います。

ーーー 東京大学総合研究博物館 より −−−

 ペルーの世界遺産で世界的に有名なマチュピチュ遺跡。その遺跡の麓にあるマチュピチュ村で、野内与吉は村の為に生涯を捧げた人物である。福島県安達郡大玉村出身の彼は、裕福な農家に生まれるも海外で成功したいという夢を抱いて、1917年に契約移民としてペルーへ渡った。農園で働いたが契約内容と実地の状況の違いから1年で辞め、米国やブラジル、ボリビアなどを放浪する。1923年頃にはペルーへ戻り、クスコ県にあるペルー国鉄クスコ−サンタ・アナ線(通称FCSA)に勤務し、会社専用電車の運転や線路拡大工事に携わった。1929年にはクスコ〜マチュピチュ区間の線路が完成した。
 その後与吉は、前年に結婚したマリア・ポルティージョとマチュピチュ村に住むこととなる。2年後の1930年には長男が生まれ、ホセと名付けるも2歳で他界。その後、2人の娘と2人の息子に恵まれる。のちに次男のホセは1981年から1983年までマチュピチュ村村長を勤めることとなる。 
(つづく)

                            
■ マチュピチュ遺跡行きバス乗り場を望む ■
右側の建物は、土産物屋さんが駅前まで続いています
  
バス乗り場近くに有ります像です


 ”マチュピチュ村” 散策 (マチュピチュ温泉)
 
■ マチュピチュ温泉の入口です。朝の6時50分です、地元の子ども?が入浴&スイミングにきていました ■


マチュピチュ温泉へは、前日の夜入浴に行きました。ぬるくて寒くて20分で退散しました。それでも良い思い出になりました。(写真はネットより)
温泉は水着着用となっています。そのための貸し水着です 入口から温泉までは、4分ほどの距離でした。いがいと遠かったです
温泉入口近くに有った祠です(1) 温泉入口近くに有った祠です(2)
  
 
マチュピチュ温泉は、この川(渓流)の最上流に有ります
 


 ”マチュピチュ村” 散策(1)
 
お土産屋さんからのむらの風景です
マチュピチュ村のメインストリートのインカ・パチャクティ通りです スマチュピチュ村の観光案内所です
 
  
右側はクリーニング屋です アルマス広場にて 警察署前にて 駅前にて
     
■ 町の真ん中を通る、ペルー鉄道の線路です ■


 ”マチュピチュ村” 散策(2)
 
町の真ん中にペルー鉄道の線路があります。ヒッキリ無しにディーゼル列車が通ります(旧アグアス・カリエンテス駅にて)
  
  
■ マチュピチュ遺跡行きバス停の川向かいに有りますオブジェです ■
  
 


  ”マチュピチュ村” 案内
 
【マチュピチュ村の初代村長は日本人野内与吉】 

ーーー 東京大学総合研究博物館 より(つづき) −−−

手先の器用だった与吉は、何もないマチュピチュ村に川から水を引いて畑を作り、水力発電を作り、村に電気をもたらした。村を住みやすくするため木を伐採していた際に、温泉が湧いたという証言もある(現在アグアス・カリエンテス村に温泉がある)。また、村で故障した機械も修理していたという。創意工夫に富み、労をいとわず、マチュピチュ村のために尽くして皆に喜ばれていたようである。

 1935年には、この村で初の本格的木造建築である「ホテル・ノウチ」を建てた。建物の一部には線路のレールが利用され、床は当時では高価だった木材を用い、3階建てで21部屋を持つ立派なホテルであった。与吉は自分のホテルを村のために提供し、1階は村の郵便局や交番として無償で貸していたという。また、後には2階も村長室や裁判所として使用されていたようだ。ホテル・ノウチが村の中心となってマチュピチュ村は発展していった。

                            
 
■ マチュピチュ村のお土産屋さんにて ■
  
マチュピチュ駅前のお土産屋さんです(1)
マチュピチュ駅前のお土産屋さんです(2) マチュピチュ村のレストラン。クイ料理をいただきました
 
  
アルマス広場に有りますお店です クイ料理を頂く パチャクティ像前にて 購入したCDにサインをしてもらっている所です
     
  
 
Google地図より Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 マチュピチュ村には夕方到着しました。希望者数人でマチュピチュ温泉へ出かけて来ました。入場口までガイドさんが案内してくれました。入場口(料金所)から温泉までは思いのほか遠く相当の歩きでした。温泉では、旅の疲れを癒やす予定でしたが、ぬるいとは聞いておりましたが寒い、一度入ったら寒くて出られない状態、何とか頑張って入っていましたが寒く、20分程で退散しました。マチュピチュ温泉は旅の疲れを癒やすことはできませんでしたが、良き旅の思い出の入浴となりました。
 また、温泉の中にも警備員がいて、大きい荷物は受付に預けるなど、持ち込みに注意しておりました。カメラを持っていかなっかたのは残念でした。

 翌朝、マチュピチュ村の散歩に出かけましたが思いのほか小さな村でした。谷間の村には陽がなかなか差しこまず薄暗い中の散歩でした。散歩の途中、クリーニングの工場が有り、朝早くから稼働していたのにはびっくりさせられました。あでやかな色彩の土産店も締まっており、観光客の散歩する姿が見える程度の静かな村の朝でした。          
(2015/7/17)

 
クイの丸焼料理をいただきました。クセも無く普通においしい料理でした。クイはモルモットの原種で別名テンジクネズミとのことです。
後日ネットで写真を見てビックリかわいいネズミでした
 
マチュピチュ村、お土産屋さんにて。独特のあざやかな色彩です
 
マチュピチュ村アルマス広場にて、パチャクティ像です
 
 【マチュピチュへの道】
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