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( ト ル コ )
[画像]  No.2  世界複合(文化・自然)遺産  パムッカレ ”ヒエラポリス遺跡”
ヒエラポリス遺跡 ”劇場”跡 方面を望む
 パムッカレ ”ヒエラポリス遺跡” を歩く
 ヒエラポリス-パムッカレ
 世界複合(文化・自然)遺産
 (1988年登録)
 トルコ西部 デニズリ県
  (撮影 2010.10.28)
 ヒエラポリスはトルコ西部・デニズリ県にあり、ヒエラポリス-パムッカレとしてユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されています。2世紀頃、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在し、現在はその遺跡が残っています。
 パムッカレは石灰華段丘の一番上にある遺跡で、ローマ帝国の温泉保養地として栄えたところです。ローマ帝国時代に地震で破壊され、その後復興しますが、1354年の大地震で完全に廃墟となりました。現在、ローマ劇場、ローマ浴場などが残っています。  (ウィキペディアより)   
(Size : 1,078KB)  ローマ帝国の都市跡を望む ローマ帝国時代の劇場跡を望む
 ヒエラポリス ローマ遺跡 ”南ビザンツ門” の風景
南ビザンツ門を望む
駐車場横よりヒエラポリス遺跡を望む     ヒエラポリス現地案内板(■カーソルセットで拡大します)
 ヒエラポリス ”ローマ遺跡” の風景(1)
 <ヒエラポリスの始まり>
 ヒエラポリスは紀元前2世紀ごろ、ペルガモン王国のエウメネス2世が支配するようになってから、ヒエラポリスと呼ばれるようになりました。それ以前の歴史については詳しくは分かっていません。良質の温泉に治療効果があると信じる人達が集まり、都市が建設されていったと考えられています。  
(るるぶ より)
    
■南ビサンツ門と付近の風景
 ヒエラポリス ”ローマ遺跡” の風景(2)
 荒れた原野に見事に群生していました(クロッカス?)
    水道の跡    
 ”ヒエラポリス 博物館” を望む
 ヒエラポリスは1世紀のローマ時代、地震で町が崩壊したことがあったが、皇帝ネロの時代から急速に再建され、2〜世紀に入ると人口10万人を超える典型的なローマ地方都市として復活。ビザンチン帝国時代も繁栄を続けた都市でした。
ヒエラポリス博物館(石灰棚近くにある遺跡)
 ヒエラポリス ”ローマ劇場跡” を望む
 円形劇場はハドリアヌス帝により、紀元前2世紀に造られたローマ劇場です。15,000人を収容したという。
■ ローマ劇場跡(1) ■
  
      入り口付近からローマ劇場を望む
■ ローマ劇場跡(2) ■
 パムッカレ ”ヒエラポリス” 案内
【聖なる都市】
 パムッカレ温泉の裏にあるプルトニウムという穴には、有毒ガスが出ており、吸い込むと死にいたるといわれ、ここに入った司祭がガスを少量吸い、トランス状態のまま、神からのお告げである神託を与えていたといわれています。これにより、ヒエラポリスには”聖なる都市”という意味があります。  
(世界の歩き方より)
石灰棚近くにある遺跡(2)
入り口付近からの風景(1) ヒエラポリスの入り口 入り口付近からの風景(2)
  
駐車場の風景 石灰棚近くの遺跡    現地の案内版 南ビザンツ門 ヒエラポリス入り口風景(3)
Google!地図より ■Zoom ■Zoom
後  記
 ヒエラポリス遺跡の世界遺産登録には、『人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例』 と感じました。地震で崩壊した都市として、遺跡は限られた場所のみになっておりました。建造物と思われる石はあちらこちらに見受けられ、散乱しておりました。また残った遺跡もものすごく風化進んでいました。現地ガイドさんの話では、ここの遺跡の石材が花崗岩系で建造されたため大理石で作られた都市と比べると風化が著しいとのことでした。遺跡の赤茶けた原野の中の黄色の花の群生はとても印象的でした。ツアーの時間の関係でローマ劇場跡まで足を伸ばせなかったのはとても残念で心残りでした。  (2010.11.30)
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