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 家光廟 ”大猷院” (いえみつびょう たいゆういん) と 仁王門 
 
 家光廟大猷院(いえみつびょう たいゆういん)は、日光山輪王寺にある、徳川3代将軍家光(1604-1651)の霊廟です。大猷院とは家光の法号です。
 1999年(平成11年)には、『日光の社寺』の一部としてユネスコの世界遺産条約に基づき世界遺産に登録されまています。
 
 
 
仁王門(におうもん) 1
 仁王門は、8つの脚があるのが特徴です。高さ3メートル20センチの密迹金剛(みっしゃくこんごう)と那羅延金剛(ならえんこんごう)の2体の仁王像が門を守っています。両妻流破風造りといわれる建築法で、欄間(らんま)には透かし彫りが施されています。(日光観光協会HPより)
 
仁王門(におうもん) 2
 仁王像の口が「阿(あ)」「吽(うん)」になっているのは、物事すべてには始めと終わりがあるということを表現しています。また、手の構えは、悪い心をいましめ、よい心を激励しているのだという。(日光観光協会HPより)
 
 

 重要文化財 ”二天門(にてんもん)”
 
 二天門は重要文化財に指定され、桜門下層正面左右に、”持国天”、”広目天”の二天を安置していることから二天門と呼ばれています。背面には風神・雷神が配置された均整の取れた美しいこの門は、上部分と下部分の彩色が著しく異なっており、日光の建造物では他に例がありません。(日光観光協会HPより)
二天門(にてんもん)
 「二天門」は、日光山内でいちばん大きい門とされています。門の上部には、後水尾(ごみずのお)天皇の筆による「大猷院(たいゆういん)」の額が掲げられています。
 
 
 二天門は色彩がはっきりと分かれていて、下段は朱色、中程は黒、軒下は群青・朱・緑青。目につく上部に、装飾が集中している。二天門を潜り、続く石段を左手に曲がり見下ろすと、後にしてきた灯籠や水屋が見渡せます。ここからの眺めは天上界からの眺めにたとえられています。(日光観光協会HPより)
 
 

 重要文化財 4体の夜叉をまつる ”夜叉門(やしゃもん)”
 
 夜叉門は霊廟への最初の入り口となる門です。切り妻造りで、正背面に軒唐破風を付けた低平な落ち着いた造りながら、鮮やかな彩色が目を引く華やかな門です。欄間、扉の羽目板部分、壁面などに流麗な牡丹唐草彫刻が施されていることから、牡丹門とも呼ばれています。(日光観光協会HPより)
 
 夜叉門は、二天門を抜けると、左右に鐘楼(しょうろう)と鼓楼(ころう)があり、周辺に33対66数基の灯籠がある。灯籠は唐銅(からかね)製で、10万石以上の諸大名から奉納されたものです。
 
 
二天門の象
 「二天門」正面には四天王のうちの”持国天”と”広目天”が祀られてる。そして、その裏側には、”風神”と”雷神”配置されています。風神の手の指は4本で東西南北を、雷神のは3本で過去・現在・未来を表し、足の指は両方とも2本で天と地を示しているとのことです。(日光観光協会HPより)
二天門裏側の風神像。風袋をかつぐ
二天門裏側の雷神像(太鼓を背負い手にばちを持つ)
正面右の広目天像(あまのじゃくを踏みつけている) 二天門正面の左にまつってある持国天像
 
夜叉門 4体の夜叉
 正面、背面の左右柵内に「毘陀羅(びだら)」「阿跋摩羅(あばつまら)」「ケン陀羅(けんだら)」「烏摩勒伽(うまろきゃ)」の「四夜叉」を納め、霊廟の鎮護に当たっています。また、夜叉の体の色は、それぞれ東西南北を表しています。(日光観光協会HPより)
 
  
徳川家光
 家光は家康を敬愛して、東照宮を大造営しました。死後も家康に仕えるという遺言により、4代将軍家綱によって、大猷院が建造されました。大猷院は、輪王寺の本堂である三仏堂からはかなり離れています。二荒山神社の西側に位置し、東照宮の方向に向いて建っています。建造物に東照宮のような派手さはないが、大規模な墓所であります。本殿の後ろに奥の院(宝塔とその拝殿)があるが、通常は非公開です。家康と家光以外の徳川将軍家の墓は、芝増上寺か上野寛永寺にあります。(日光観光協会HPより) 
 

 
 国宝  ”本殿”
 
 
 
拝殿・相の間・本殿
 大猷院の中心伽藍で、国宝に指定されています。拝殿・相の間(あいのま)・本殿から構成され、その正面は敬愛する家康公の墓所(東照宮 奥社)の鬼門の方角を向いています。建物全体に金箔が多用されていることから別名「金閣殿」とも呼ばれています(日光観光協会HPより)
 
 

 龍宮城の入り口を思わせる ”皇嘉門(こうかもん)”
 
皇嘉門
 「皇嘉門」は本殿の後ろ、大猷院の最も奥に位置する家光公の御廟への入り口の門です。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれている美しい建物です。門の扉が固く閉ざされているので見えないが、天井には皇嘉門や竜宮門という名にふさわしい、あでやかな天女の絵が描かれているという。これから先が家光公の御霊を奉る聖域であることを象徴しています。外側は極彩色に彩られ、まばゆい白い壁と、大猷院の基調である黒と金が際立っています。内側はろう色をしているらしい。やや低くなっている門の端の屋根から、踏み入ることのできない奥院をのぞくことができます。(日光観光協会HPより)
 
 
 

 ”夜叉門” と ”灯籠
 
 
鐘楼 鼓楼
 
 

 ”夜叉門” の天井の透かし彫り
 
 
大猷院の装飾
 首東照宮の建築が白と金を基調にして、黒の縁取りをしているのに対して、大猷院は金と黒が基本で、縁取りは赤。金箔も東照宮より赤みがかったものを使用しています。


 
夜叉門天井の透かし彫り
  
 

 大猷院 案内
  
 大猷院は家光公が東照宮を模倣することをはばかったので、東照宮とはまったく違う趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴です。地形を利用した配置も、大猷院ならではであります。
 大猷院の建物は東照宮に向いています。これは、家康公に対する家光公の強い思慕の念を示しています。(日光観光協会HPより)
 
  家光公の遺言
 家光公は、祖父である家康公を心から深く尊敬し、慶安4(1651)年4月20日、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現(家康公のこと)にお仕えする」という遺言を残しまた。その遺志を受けた4代将軍家綱公の命によって、家光公の死の翌年にあたる承応(じょうおう)元(1652)年2月16日に起工。わずか1年2か月後の承応2(1652)年4月4日に家光廟大猷院が完成しました。(日光観光協会HPより)
 
 
 
 
 
後 記
 大猷院は、初めて訪れました。建立の背景などあまり気にもとめておりませんでした。国宝は見ておこうの軽い気持ちでした。家光公の祖父家康を思う心がそのまま配置で建立されていると思いました。東照宮の片隅にひっそりとたたずみ、東照宮を見守っているように思える建物でした。建物一つ一つが放す色彩の見事さと、味わいが有りました。
 東照宮と比べ観光客も比較的少なく、静かで落ち着いた場所で、お寺さんと神社が共存しているような不思議な場所でした。訪れた際には、本殿での講和を聞いてくことをお薦めします。
 
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