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[画像] No.1 〜 No.10
 
  
 今は亀城公園となった ”土浦城”    (茨城県:土浦市)
 土浦城 (つちうらじょう)
 茨城県史跡
 茨城県土浦市
 (撮影 2003.04.27)
 土浦城は室町時代、永享年間(1429〜41)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。天守は作られなかったが、幅の広い二重の堀で守る平城である。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。亀城(きじょう)との別名を持つ。 (ウィキペディアより)   

亀城公園(土浦城)には江戸時代から存する建造物として、本丸と二の丸を結ぶ太鼓櫓門と霞門があり、茨城県で唯一、江戸時代からの現存建物遺構の存在する城となっています。土浦駅からも比較的近く、子供たちがたくさん遊んでいました。市民に親しまれている公園という感じがしました。
(Size: 507 KB) 土浦城 ”東櫓”を望む 土浦城 ”太鼓櫓門” を望む
 織田信長の居城 ”清洲城”   (愛知県:清須町)
 清洲城 (きよすじょう)
 模擬天守
 愛知県清洲市
 (撮影 2006.11.11)
  1405年(応永12年)尾張・遠江・越前守護大名、斯波 義重(しば よししげ)によって築城。1555年(弘治元年)織田信長が大改修を加えた後、本拠として居城した。信長は桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須に居城した。名古屋城築城の際の資材として利用され、1613年(慶長18年1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了した事により廃城となる。 (ウィキペディアより)  
 
現在の清洲城は旧・清洲町の町制100周年を記念して1989年(平成元年)に再建されたものです。ここはお城の形をした博物館と感じました。なお、城跡としては本丸土塁の一部が残るのみとのことです。
(Size: 400 KB) 清洲城天守から望む 清州城を望む
 猛将・本多忠勝の居城  ”大多喜城”   (千葉県:大多喜市) 
 大多喜城 (おおたきじょう)
 歴史博物館
 千葉県大多喜市
 (撮影 2008.02.23)
 大多喜城は、千葉県立中央博物館大多喜城分館として、千葉県指定史跡の上総大多喜城本丸跡に建設された天守閣づくりの 特色のある歴史博物館です。
この博物館は房総の中世から近世までの武器・武具や城郭、武家社会などに関する歴史
資料を展示紹介する専門館と総南地方の地域の文化財を紹介する地域博物館としての機能を持っています。 
 (千葉県立中央博物館大多喜城分館HPより 

 大多喜城は天主が復元され、博物館として活用されています。城下町を見下ろすことができる高台に築城され、景観がすぐれており、立派な城と感じました。回りの山々には成長した杉の木がたくさんあり、花粉を降りそそいでいました。花粉症の方は時期を選んでお出かけした方が良いと思います。
(Size: 583 KB) 大多喜城を望む 大滝城天守(博物館)を望む
 武田 勝頼の城 ”新府城”           (山梨県:韮山市)
 新府城 (しんぷじょう)
 − 
 山梨県韮山市
 (撮影 2008.04.05)
 新府城は、天正9年(1581)に武田勝頼によって築城されました。城は未完成でしたが、同年の9月頃には友好諸国に築城が報じられ、12月24日に躑躅ケ崎館(武田氏館跡 山梨県甲府市)からの移転が行われました。しかし、天正10年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を目前にして自ら城に火を放ち退去し、3月11日に田野(山梨県甲州市大和町)において、夫人と息子信勝ともに自害し、武田氏は滅亡してしまいます。 (韮崎教育委員会HPより) 
(Size:  940 KB) 新府城本丸跡を望む 武田勝頼公霊社と家臣の慰霊碑
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