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    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  愛媛県宇和島市 ”宇和島城(83)” を訪れる
  
  
  
  
  
  
  
  
 現存12天守の一つ ”宇和島城” に登城する
 
 宇和島城 (うわじまじょう)
 日本百名城 No.83
 愛媛県 宇和島市丸之内
 (撮影 2011.05.01)
 宇和島城(うわじまじょう)は四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった城です。江戸時代は宇和島藩の藩庁となり、国の史跡に指定されています。

 宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭です。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもあります。 (ウィキペディアより)   
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宇和島城、天守を望む 宇和島城より、宇和島湾を望む
 



 
 宇和島城 ”桑折(こおり)氏武家長屋門” より登城する
 

 【宇和島城の築城】

 宇和島城の現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城の時とされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。

 高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成しました。その姿を現在に残しています。  
(宇和島市観光協会HPより)

 
■ 宇和島城、”桑折(こおり)氏武家長屋門(市文化財)”を望む。城山への北登山口となっています。 ■
 【桑折(こおり)氏武家長屋門】
 城山東北川の登城口に位置する長屋門です。家老桑折家屋敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、現位置に移築しました。長屋の一部は失われていますが、市内には数少ない武家屋敷の建造物で、市の指定文化財となっています。 
(宇和島市HPより)

  
 
 
 宇和島城、本丸までの道を望む 宇和島城、桑折(こおり)氏武家長屋門より入城する
 
 宇和島城 ”石垣” を望む
 
■ 宇和島城、本丸を目指す ■
  
 
宇和島城の井戸(井戸丸跡)を望む (■カーソルセットで井戸の全景が見えます)
  
宇和島城、”三之門跡”付近の石垣を望む 宇和島城、”本丸一之門跡”を望む
 
 宇和島城 ”上り立ち門” を望む
   
■ 宇和島城、 ”上り立ち門(市指定文化財)”を望む。城山への南登山口となっています。 ■
かつては、この南登山口から天守に至るまでに7つの門がありましたが、現在残っているのは上り(のぼり)立ち門のみとのことです。


 【上り立ち門】
 城山南側の搦手道口に位置し、武家の正門とされる薬医門形式となっています。現存する薬医門としては、最大級であるだけでなく創建年代が最古の慶長期まで遡る可能性を秘めた、貴重な建造物です。  
(宇和島市HPより)

  
宇和島城、7つの門の一つ”雷門跡”を望む 宇和島城、”石垣”を望む
 
 宇和島城 ”天守” を望む
 
【宇和島城の天守 − 現存12天守の一つ ー】

 宇和島城の天守は宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(1666)頃に再建、3重3階総塗籠式(そうぬりごめしき)、層塔型(そうとうがた)の天守です。
 各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(げぎょ)などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。
 万延元年(1860)、昭和35年(1960)に大修理を受けていますが、昔の姿を今もなお伝えています。

   ・高さ  15.72m(礎石〜大棟)
   ・面積  212.75平方メートル(1階軒面積)

                       
(宇和島市HPより)
 
■ 現存12天守の一つ、宇和島城天守を望む ■
  
宇和島城、本丸から眺めです 宇和島城、天守を望む
 
宇和島城、天守台と天守を望む 一之門を望む 天守入口より、本丸を望む 宇和島城、本丸より天守を望む
  
 
 宇和島城、天守からの眺望
  
■ 天守より、宇和島湾を望む ■
   
宇和島城、天守を望む。 宇和島城天守、入場券売り場です
  
  
  
宇和島城天守の入場券です 天守入口の上部です 天守内部より、入口を望む 天守1階に展示されている模型です
  
天守内部の階段です(2〜3階の階段です) 天守2階の内部の様子です(1) 天守最上階の内部の様子です 天守2階の内部の様子です(2)
  
   
宇和島城内より、宇和島湾を望む
 伊達十万石の城下町 ”宇和島城” 案内
  
【日本百名城 宇和島城】

 宇和島城は、941(天慶4)年の藤原純友の乱の時、宇和地方の警固使・橘遠保が板島と呼ばれていました現在の宇和島城城山に砦を構えたのが始まりと言われています。当時この場所は海に面した天然の要害であったとのことです。
 記録上、本格的な城としての構えたのは、1546(天分5)年頃に家藤監物(けんもつ)によるもので、丸串板島城と称しました。
 1595(文禄4)年に、築城の名手である藤堂高虎が入封すると、高虎は地名を板串を宇和島と改め、拠点として近代的な城郭を築城しました。このときの縄張りが現在見られる宇和島城の基本的な姿となっています。

 1615(元和元)年、東北の名将伊達政宗の長男・伊達秀宗が10万石で入城し、これ以後は宇和島藩伊達家として明治維新を迎えました。基本的な城の構造は藤堂高虎時代のままですが、城下町は伊予南部(南予地方)の中心として拡大を続けたほか、2代目の伊達宗利は1666(寛文6)年に現在も国重要文化財として現存する天守閣を築造しています。  
(日本の城、裏辺研究所HPより)

  
■ 宇和島城、天守を望む (市内:港からのズームアップです) ■
   
宇和島城、本丸路を望む。手前は”二之門跡”です。
   
市内(港側)より、宇和島城を望む ”桑折(こおり)氏武家長屋門”を望む
 
 桑折(こおり)氏武家長屋門を城内より望む 三之丸に建てられた武器庫(山郷土館:旧山里倉庫(きゅうやまざとそうこ))です  宇和島城、本丸にて 宇和島城、”上り立ち門”を望む
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
  
           
後   記   
 宇和島城は、桑折(こおり)氏武家長屋門より、入城しました。門を過ぎるとうっそうと茂った樹木の中の登りとなり、苔の石段と石垣の中の登りとなります。城山は標高は約80mとのこと、途中には井戸跡(井戸丸)があり、本丸まで登りが続きます。本丸跡には現存12天守の一つ、宇和島城天守がデーンと立っていました。1666年築城の天守、350年近くこの地で宇和島の街と宇和島湾を見守ってきたのだと思いました。
 
 遠い四国の地、次回はどんな形で訪れることができるのか、考えながら城を後にしました。  
(2014/1/12)

 
宇和島城より、市内を望む
 
  
  
  
  
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