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 日本の城に登る・歩く
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    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  山口県萩市 ”萩城(75)” を訪れる (2)
  
  
  
  
  
  
  
  
 萩城 最後の砦 ”詰丸” に登城する
 
 萩城 詰丸 (はぎじょう つめまる)
 日本百名城 No.75
 山口県山口市
 (撮影 2013.04.28)
 萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城です。別名・指月城(しづきじょう)とも呼ばれています。

 萩城、詰丸は指月山の山頂に設けられた詰めの城です。城跡の案内板では「萩城要害跡」とも表記されています。石垣と土塀で囲まれた本格的な城郭で、東側の上段を本丸、西側の下段を二の丸として、石垣と塀で仕切られていた両者の間は棟門で繋がれていました。二の丸の南側に枡形虎口と櫓門による表門があり、本丸東側に裏門として埋門があります。   (ウィキペディアより)   
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萩城(指月山)を望む。詰丸は山頂部にあります。 萩城、詰丸 ”要害門跡”を望む
 


  萩城 ”詰丸” に登る
 

 【萩城 詰丸】

 萩城詰丸には現存する建物はなく、天守があったという記録もありません。二の丸には海と陸を監視する番兵たち(平時でも6〜7名が泊まり込んでいた)が詰める番所と居小屋が、本丸には藩主のための茶屋があったとされています。また、門櫓以外に7基の櫓が建てられていた。櫓には万が一籠城する時ために武器が備えられていました。
 山頂には井戸がないので水溜があり、昭和40年に土塀の一部と共に復元整備されています。また石垣の石を切り出した石切場も残されています。  
(ウィキペディアより)

 
■ 萩城 詰丸、矢倉門付近の土塀を望む ■
  
”詰丸”への登山道です ”詰丸”登山口にある案内板です
  
■ 萩城 詰丸、矢倉門付近の土塀を望む ■
  


  萩城 ”詰丸” にて
 
■ 萩城 詰丸 ”本丸”より”二の丸” を望む ■
  
萩城 詰丸”要害門跡”を望む 萩城、”詰丸跡”を望む


  萩城 ”詰丸” からの眺望
 
■ 萩城、”詰丸”からの眺望です。樹木のため眺望の効くのは埋門の近くだけでした。 ■
  
萩城詰丸、”埋門跡”方面を望む 萩城詰丸、本丸に”石切場の跡”がありました
  
萩城詰丸、”貯水池跡”を望む。詰丸には井戸がなかったため、貯水池を設けたとのことです。巨石の周囲が掘られて貯水池になっていました。
 


  萩城外堀 ”北の総門” と ”城下” を望む
 

 【萩城唯一の復元建造物 ”北の総門” 】

 北の総門は、三の丸(堀内)の入口である総門の一つです。総門は北、中、平安古の3か所があり、あわせて「大手三つの門」と呼ばれました。昼間は門番が常駐して出入りする者を監視し、夜は門を閉じて鑑札を持った者しか通れませんでした。
 元文年間(1739〜40)の絵図によると、北・中の総門の前に、新たに枡形と南北の船着場が描かれています。枡形と土橋には土塀が巡り、船着場に続く箇所は食い違いになっています。この時期に北・中の総門周辺が再整備されたことがうかがえます。(復元:平成16年(2004)10月)  
(現地案内板より))

 
■ 萩城、”北の総門" を望む (城外側からの風景です) ■
  
萩城、”北の総門”を望む。「史跡萩城跡(外堀)保存整備事業」の一環で再建されています。 萩城、”北の総門”、城内部からの風景です
  
”史跡 萩城城下町” 碑です 萩城、”北の総門”を望む ”萩城下町”で夏ミカンのソフトクリームをいただきました ”萩城下町”にて
 


  萩城 ”中の総門” にて
 
■ 萩城 "中の総門跡"を望む. ■
【中の総門】
 萩城三ノ丸(堀内)の東側に当たる出入口。総門としてはこのほかに北の総門・平安古の総門がある。この門は他の門の中間に位置して中ノ総門と称した。三ノ丸の表玄関ともいえる。また藩主が公式に通行する「御成道」(本街道)に沿い、萩城外堀を隔てて城下町に隣接した。門番所があって暮の六ツ時(日の入り)から明け六ツ時(日の出)まで門を閉め、夜中は人も荷物も手形を所持する者に限り通行が許された。西側には大馬場と呼ばれる大広場が南北に通じていた。また萩城から中ノ総門までの道幅は五間(九メートル)もあった。
  
萩城 中の総門近くにあります、”萩博物館” の外壁です 萩城 ”中の総門” を望む
  
 


  山口県 萩城 案内 (重要文化財 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にて)
 
【日本百名城 萩城】

 【 萩城跡 指月公園案内図  −現地案内版より− 】

 関ヶ原の合戦の敗北で、西軍の総大将であった毛利輝元は、長門・周防2国に移封されました。輝元は1604年(慶長9年)日本海に面した長門国の萩に築城を開始し、阿武川河口の三角州を整地しました。萩城は標高143m指月山の山麓には本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれます。城郭の構造は指月山麓の平城の部分と山頂の山城の部分を合わせた平山城の形式で、山麓には本丸・二の丸・三の丸を備えていました。本丸は東西百十間、南北八十間、その南北には内堀を掘りめぐらし、高さ六間の石垣を築いて五層の天守閣がそびえ、内部には藩主の居館や政庁などが立ち並んでいました。内堀に接してその外に二の丸があり、さらに中堀を挟んで広大な三の丸が城下町と外堀を隔ててつくられていました。城址(国史跡)は指月公園となり、壮大な本丸の石垣や天守閣跡が往時を偲ばせます。
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■ 重要文化財 ”旧厚狭毛利家萩屋敷長屋” を望む ■
  
重要文化財 ”旧厚狭毛利家萩屋敷長屋” の入口です。入館料は100円でした。 館内(”旧厚狭毛利家萩屋敷長屋”)の風景です
  
館内に展示されています、萩城です。山頂部の建物が詰丸です。  
  
  
館内(毛利家萩屋敷長屋)の様子です 館内に展示されていました 指月公園をバックにて 館内(毛利家萩屋敷長屋)の正面からの様子です
 
  
 
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
           
後   記   
 萩城を訪れた時には、指月山山頂にある詰丸に登り、詰丸からの眺望を楽しみにしておりました。天守跡からは、20分ほどの登りで詰丸に到着しましたが、汗ビッショリとなる登りでした。下山するまで出会った人は二人ほど、思いのほか訪れる人は少ないようでした。
 詰丸からの眺望は、樹木のためほとんどききませんでした。2ヶ所程かろうじて城下の見える場所が有りました。展望台までとはしなくても良いとは思いますが、汗を流したあとの眺望が望めれば訪れる人ももっともっと増えるような気がしました。  
(2014/4/6)

 
 
 
  
  
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