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 日本の城に登る・歩く
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    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  岡山県総社市 ”鬼ノ城(69)” を訪れる
  
  
  
  
  
  
  
  
 岡山県総社市 ”鬼ノ城(69)” に登城する
 
 鬼ノ城 (きのじょう)
 日本百名城 No.69 
 岡山県 総社市
 (撮影 2014.03.22)
 鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)、標高397メートルにある神籠石式の山城です。城跡は国の史跡に指定されています。
 
 鬼ノ城は、鬼城山のすり鉢形の山頂周囲を石垣・土塁によって城壁が取り巻いている城です。障壁の周囲は2.8キロメートルに渡り、面積は約30ヘクタールとなっています。
城壁の要所には、門、城外への排水機能を持つ水門を設けています。
 門は東西南北4ヶ所、水門は6か所に確認され、城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、鍛冶場、工事のための土取り跡などが確認されていいます。     (ウィキペディアより)   
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鬼ノ城、屏風折れの石垣を望む 鬼ノ城、西門跡を望む
 


 広大な山城 ”鬼ノ城” を歩く
 

 【鬼ノ城城について(1)】  −未だに解明されていない謎の山城ー

 動乱に明け暮れる7世紀後半の朝鮮半島で、百済に援軍をおくっていた日本は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗しました。
 唐・新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、早急に北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる国土防衛の施設を築く必要がありました。鬼ノ城もそれらの一つとする考えが有力です。

 「鬼ノ城」の名前の由来は、「異国の鬼神(百済の王子で名を温羅(うら)という)が吉備国にやって来て備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」(鬼ノ城縁起などによる)。これが、「温羅(うら)伝説」となり、地名もこれに由来しているとのことです。
                     
(総社市HP及びこれから始める山歩きHPより)

 
■ 鬼ノ城,、角楼跡(左側)・西門(復元:右側)を望む ■
  
鬼ノ城駐車場より、鬼ノ城ビジターセンターを望む 駐車場より、西門へと進む
 


 鬼ノ城 ”西門” にて
 
■ 鬼ノ城入口にて、右側は西門、左側は角楼跡の石垣です ■
  
鬼ノ城,、西門(推定復元模型)を望む 鬼ノ城、角楼跡を望む
 【鬼ノ城 西門について】

 平成8年度の調査で新たに発見された城門である。正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口する。12本柱で構成される堀立柱城門で、開口部の床面は大きな石を敷いており、その両側に6本の角柱が立つ。門扉のつく柱は、一辺最大60cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせている。門礎には方立・軸摺穴・蹴放しが刻まれている。両側の門礎とも原位置を保っていることから、開口部は間口約4mで、うち3mが出入口となる。  (総社市HPより)
  
鬼ノ城、西門の内部です   鬼ノ城、高石垣を望む(西門付近にて) 鬼ノ城、高石垣を望む、奥は西門です 鬼ノ城、石垣より、西門を望む
 


 鬼ノ城 ”城壁跡”を歩く
 
■ 鬼ノ城、屏風折れの石垣(中央上部)と東門跡(右側)を望む ■
  
鬼ノ城、南門跡を望む 鬼ノ城、南門跡を望む。復元工事中でした
鬼ノ城、第3水門跡から第4水門跡の間にありますスペースです。何に使われていたのでしょうか?
鬼ノ城、第3水門跡から第4水門跡の間にありますスペースからの眺望です。見事な眺望でした。
 


 鬼ノ城 ”屏風折れの石垣” を望む

  【鬼ノ城城について(2)】

 鬼ノ城は、標高400〜600mの吉備高原の南縁に築かれています。眼下には古代吉備の中枢地たる総社平野と足守川中流域平野を望み、快晴時には瀬戸内から遠く四国の山並み望見される遠望絶景の地に立地しています。

 古代山城は、朝鮮式山城と神籠石と呼ばれるものがありますが、どちらも朝鮮半島に起源を求めることができます。城壁は、要所に高石垣を交えつつ、強固な土塁を2.8kmにわたって巡らせています。城壁は幅約7m、高さ約6mあり、外・内側に平たい石が1.5m幅で敷かれています。この敷石は城壁を守るために設けられたと考えられます。
 城壁の谷部には水門が設けられています。現在6か所確認されており、いずれも下半部が石垣、上部が土塁の構造です。この水門は城内の水を管理するための排水口です。
 城門は東西南北の4か所にあり、いづれも通路部分に敷石があります。西門・南門はほぼ同規模の門で、12本の柱で支えられた楼門と考えられます。西門の近くには角楼と呼ばれる防御施設があります。城内は、30haに及ぶ広大さで、城庫とみられる礎石建物跡も6から7棟発見されています。
 攻めるに難しく、守るに易い地に、堅牢で緻密な城づくりをした難攻不落の古代山城です。    
                         (総社市HPより)

 
■ 鬼ノ城、屏風折れの石垣を望む ■
南門近くにあります、”敷石”です
  
鬼ノ城、”東門跡”を望む(1) 鬼ノ城、”東門跡”を望む(2)
鬼ノ城、屏風折れの石垣を望む(東門跡〜第5水門跡にて)
  


 鬼ノ城 ”屏風折れの石垣”にて
 
■ 鬼ノ城、屏風折れの石垣からの眺望です ■
鬼ノ城、屏風折れの石垣へ進む 鬼ノ城、屏風折れの石垣にて
鬼ノ城、”北門跡”を望む(1) 鬼ノ城、”北門跡”を望む(2)

鬼ノ城、”第2水門跡”を望む(1) 鬼ノ城、”第2水門跡”を望む(2) 第四水門を望む 鬼ノ城、屏風折れの石垣にて
  
 


 ”鬼ノ城” 案内
 
【日本百名城 鬼ノ城】
 【 鬼ノ城の歴史 】

 663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。しかし、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石式山城と呼ばれる。             
(ウィキペディアより)

 
■ 鬼城山、鬼ノ城全景を望む ■
  
鬼ノ城、第3水門〜東門にありました 左写真のアップです。なかなかの彫り物と思いました
  
鬼ノ城、ふもとから西門のズームアップです
  
鬼ノ城、北門を望む 鬼城山、山頂を望む。標高約400mとのこと 鬼ノ城、角楼跡にて、 "岡山縣十五景地”の碑にて
(屏風折れの石垣にて)
 
  
 
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
 
           
後   記   
 鬼ノ城(きのじょう)は、名前からして興味津々の城でした。お伽噺「桃太郎」の原典となった「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた城とのことです。ただ、城の成り立ちは現在においても解明できていない謎多き城とのこのことです。

 鬼ノ城は、鬼城山山頂部をつながっている城壁跡は、国の史跡云々より、現在においては良きハイキングコースと思いました。眼下に広がる山・街並を眺めながらの歩きはなかなかのものでした。

 今後城の歴史が解明され、1400年前の城がどんなものであったか再現されることを楽しみにしたいと思います。   
(2015/5/4)

 
 
鬼ノ城、城壁を望む (◆カーソルセットで上空から見た鬼ノ城全景の写真(ビジターセンター掲示)が表示されます)
 


  
  
  
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