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八王子城本丸跡   
  

 八王子城 ”天守閣”跡
 
  
 八王子城(はちおうじじょう)は、戦国時代の終わり頃(16世紀後半)、北条氏照によって築かれた山城です。広大な山地、その山麓、そして城山川に沿った谷間など、変化に富んだ地形を、巧みに利用して築城されています。主要部は山頂部に本丸を構え、東を城の大手(表口)、北を搦手(からめて:裏口)としています。
 八王子城は、戦国時代を代表する城跡として、現在約154haの範囲が国の史跡に指定され、保護されています。
 (現地案内板より)
  
 
史跡の案内がなければここが天守閣跡とは思えない場所(山中)です
 
日本100名城に選定
 八王子城は、2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(31番)に選定され、2007年6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始されています。 ウィキペディアより

     本丸から登山道を20〜30分の所です
 
 

 八王子城 ”松木曲輪(くるわ)”
 
  
  【八王子城 名前の由来】

 八王子城は、北条氏の本城、小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。延喜13年(913年)に華厳菩薩妙行が山頂で修行中に牛頭天王と8人の王子が現れた因縁で延喜16年(916年)、この城の山頂に八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられた。 ウィキペディアより
 
  
  
  
 
大正時代に建てられた巨大な慰霊塔 松木曲輪の現地案内板
 
 
 

 本丸の近くにある ”八王子神社”
 
 
 
■Zoom(神社拡大)
 
中世の山城 
 八王子城は標高445m(比高約240m)の深沢山(現在の城山)に築城されており、典型的な中世山城の最終形態と言える。
 縄張りは東西約2km・南北約1kmにおよび、山の尾根や谷など複雑な地形を利用し、いくつかの地区に分けられていた。
 ウィキペディアより

  
  
  
  【八王子合戦 】
 小田原の役の一環として1590年(天正18年)6月23日、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの連合軍1万5千に攻められた。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には、城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民・婦女子を主とする領民を加えた約1000人が城内に立て籠ったに過ぎなかった。(ウィキペディアより)
 
  

 
 八王子城址からの風景
 
 
 八王子城が築かれた時代は、それまでの戦闘重視の山城から、近世的な天守閣を持つ平山城、平城への転換期であり、比較的なだらかな丘陵を利用して構築された滝山城から、より急峻な八王子城に移ると言うことは、時代を逆行する面もありました。しかし、安土城をはじめ関西の城で取り入れられるようになり、後に近世城郭の一つの特徴ともなった石垣を取り入れているところに、古い時代の山城にはない、八王子城の特徴があります。  (八王子市HPより)
 
  
  
関東屈指の山城
 八王子城は、関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。
 城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館のあった「御主殿跡」などの「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分かれています。
 (八王子市HPより)
     
  
 
 

 曲輪(くるわ) 金子丸跡
 
 
 曲輪金子丸は、金子三郎左衛門家重が守っていたといわれている曲輪(くるわ)です。尾根をひな壇状に造成し、敵の侵入を防ぐ工夫がされている。 (現地案内板より
 
 
  
金子丸の付近 金子丸の道標 ひな壇状の造成あと
   
  
あしだ曲輪 観音堂
 
 

 八王子城 ”本丸跡”
 
  
  八王子城の築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584)から天正15年(1587)の間とする説が有力です。天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。 八王子市HPより
 
  
 
 
 

 ”八王子城址”  案内
  
   
 八王子城は、いくつかの地区に分けられていた。地区は、山頂に置かれた本丸、松木・小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。

そのうち、城下町には、武家屋敷のある中宿、刀剣鍛冶職人の居住区である鍛冶屋村に加え、滝山城下から移転した商業地区の八日市・横山・八幡三宿があった。また出城には、搦手の防衛線を形成する浄福寺城(案下城)、小田野城の他、初沢城などがあった。 (ウィキペディアより)

  
  
■Zoom八王子城イメージ図の表示(現地案内板より)
   
  
  
  
観音堂
  
  
Yahho!地図より ■Zoom ■Zoom
 
 
 
後 記
  
  八王子城は、屈指の山城ということですが、山城とはどういうものかイメージが掴めていませんでした。今回は、山側から入り見て来ました。高尾登山口から入り、『高尾山⇒城山⇒影信山⇒杉沢ノ頭⇒△城山(445m):八王子城』と回って来ました。
  最初にビックリしたのは、天守閣跡でした。こんな山中に!?、史跡の石碑がなければ気のつかない山中です。現在は登山道となっている道には当時敷きつめられていたのか、沢山の岩石がありました。天守閣跡から本丸跡まで20分超の歩きです。さらに本丸跡から管理棟まで30分ぐらいかかります。山の広大さ、八王子城の広さを身を持って理解できました。
  御主殿跡、虎口、冠木門は次回訪れた時に回りたいと思います。  
(2009..3.28)

  
 
  
  
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