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[画像] 中国  砂漠の街 敦煌  ”敦煌市内” を散策する
  

 敦煌のシンボル、飛天反弾琵琶像を望む 
  
  
  
 
 
  
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 1.中国 敦煌 ”敦煌市内・夜市” を散策する
 
     
 敦煌市・夜市
 (とんこうし・  よいち)
 中国 観光地
 中国甘粛省 敦煌市
 (撮影 2017.06.26-27)
 敦煌市(とんこうし)は、中国甘粛省北西部の都市です。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市であり、近隣にある莫高窟とそこから出た敦煌文書が有名です。

 敦煌は漢時代に敦煌の西に防御拠点の玉門関と陽関が設置され、漢の西域経営の中心地となりました。西方からの汗血馬・ブドウ・ゴマなどの産物や仏教がこの地を通って漢に運ばれ、漢からは絹が西方へと運ばれました。
 敦煌は漢にとって経済・軍事に於ける重要な拠点となり、豊かな土地と防衛拠点としての使命から厳しい政治を避けると言う事があり、税も物価も安く、住民は平和と豊かさを楽しんでいたとのことです。

 この頃の人口が3万8千ほどと言う記録があり、現在の3分の1ほどですが、中国の全人口が現在の20分の1以下の6千万ほどであることから、この頃の敦煌がいかに栄えていたかがわかります。   (ウィキペディアより)   
(Size :    KB) 敦煌のシンボル、飛天反弾琵琶像を望む 敦煌、敦煌夜市を望む







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  【「敦煌」について】

 敦煌は、紀元前2世紀前半に匈奴に冒頓単于(ぼくとつ ぜんう:冒頓王)が立ち、月氏を攻めてこの地を匈奴の支配下にしました。
 冒頓の時代には匈奴に押され気味であった前漢でしたが、武帝の代になって西域に対して積極的に遠征を行い、この地に敦煌郡を設置しました。敦煌郡の設置年代についてはかつては紀元前111年と言われていましたが、紀元前92年ごろの李広利将軍の大宛(フェルガナ)遠征の際に設置されたとする説が有力となっています。   
(ウィキペディアより)
 
   
 







  お気に入り写真




敦煌のシンボル 夜の ”飛天反弾琵琶像”を望む






敦煌市にあります、敦煌賓館の壁画です




敦煌、ホテルより敦煌市内を望む。黄色っぽい、砂っぽい霧が立ち込めていました






敦煌、小学校の登校風景です






敦煌のシンボル、飛天反弾琵琶像のズームアップです




敦煌、敦煌夜市入口を望む






敦煌、敦煌夜市にて






敦煌、敦煌夜市にて。手前のアンズが名産とのこと。甘くてすっぱくて大変美味しかったです




敦煌、敦煌夜市にて。太鼓の前にはたくさんの人だかりができていました






敦煌、敦煌夜市にて






敦煌夜市、食堂街にて






敦煌、敦煌夜市にて




敦煌夜市にて、涼しげな噴水がありました






敦煌夜市にて。正面の門は夜市入口です






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